最初に通った剣道場には数人の先生がいて、一番年配の先生は眼鏡をかけておられた。短い白髪で白い口髭をたくわえ、背は高くないががっしりした体格で、小学生の私からみたらおじいさんであった。道場の一番奥で、いつも難かしい顔をして正座しておられた。機嫌のいい顔を見た記憶がない。
練習前に、戦争の話しをされた。戦争の相手を鬼畜米英と言われ、日本刀で機関銃に立ち向かい勝利した話など、とても生生しく詳細はここでは書けない。話が終わると刀(本物だったか不明)に酒しぶきをかけ、ちゃっと八相に構えられた。夕暮れ時、眼鏡の奥の眼がきらっと光り、刀が同時に鈍く光り、光が美しいと思う一方で威圧感がすごかった。そこから誰もいない空間に向かい、斜めに刀を振られた。当時よく見られた夕暮れ時の光景であった。
先(少年剣道1)にも書いたが、当時練習が毎日あった。風邪をひいて休むと、「風邪は剣道をすれば治るので休むな。」と言われた。私が風邪で休んだが、遅刻したかの時の話し。正座させられ、鬼畜米英を切ったかもしれない刀が耳のすぐそばを通り、肩にがしっと当たった。峰打ちだ。
といっても打ちおろすわけでなく、寸止めのように、ぴたっと止め、反動でぶれた分が肩にあたる感じだった。ブンと振り、ピタッと止まり、こつっと当たり、ゆっくり引き上げていく。生きた心地がしなかった。死がすぐ傍にある事が感じられた。
そういうわけで、風邪をひいて休むものなど滅多にいなかった。そんなに恐ろしかったにもかかわらず私は遅刻することがあった。
(ここで私見、剣道に強くなる方法をはさむ)
少年剣道1のところで書いたが、私が剣道が上達しだした頃、先生に、「最近濱は強くなったな。」と言われた頃のある日、ある先輩が「少し強くなったからって調子に乗るなよ。」と私の胸倉をつかんできた。弱かりし頃、さんざんな目に合わされた相手だ。試合で手心を加えろとでも言うのだろうか。丁度彼に力が追いついた頃である。
先生が間に入り、両成敗的な話しをされた。私は納得できないので主張した。「先生は知っているのか?入門した子にいじわるしているのを」と。先生は鬼のような顔で問いただしたが、彼はしらばくれてその場は終わる。
以後力が開いていく。私は強くなり、先輩はそのままだった。ある日私にふざけてきた。遊ぼうといった感じだったが、相手にしなかった。彼との試合は1秒でも早く終わらせることに徹した。勝てることがわかった後は、いろんな技の練習をして、効果的に上達することが出来た。相手が臆しているのが伝わってきた。そのうち彼は来なくなった
この件で、冷たい態度かもしれないが、ルールの中で対応した。剣道を習いに行っているので剣道で勝負し、敵意には剣道で答えた。学んだことは大きかった。また幸運だったと思っている。恐ろしい先生がいて、一番弱い先輩が向かってきてくれた。おかげで腹のくくり方を学習する事が出来た。逃げたら追いかけてくるだけだ。
いじめ問題について思うのだが、普通の人がある集団から攻撃された場合、私が助言するとするなら、その中で一番弱いものを探す。頭を使うことだ。いきなり強者には勝てない。一番弱い者を探し出した時点で、狙われているのでなく、こっちが狙っているのだ。戦い敗北したら、空手、柔道、剣道などの道場にダッシュする。そこでも、一番弱い相手をみつけ、全力で稽古して勝利を目指す。私の場合、探さなくても向こうからやってきてくれた。
よく観察するといい。強い先輩が自分の勝てない相手をどう料理するかを。道場の最弱者に勝利するころには、いじめ集団の最弱のものには勝てるようになっているだろうが、ここは余りこだわらなくていいと思う。そこで最弱なものには理由がある。自分より強い方でなく、弱い方をみているのでは。 たとえ、今、強者でも弱い者を見るものは頭打ちする。残念ながらそこそこ位にしか強くなれない。あの先輩のように。当たり前だ。
なので、最初は、自分より強いものの中から最弱のものを見つけ、勝利することに注力すればいい。次はその次に弱い人を見つけ、戦力分析し、努力し勝つ。これの繰り返し。時間がいくらあっても足りなくなる。
このようなモチベーションはどうかと思われるかも知れない。あくまで、私のように開始時に弱者だった場合の話で、最初から真ん中より強ければ別の心構えで取り組めばいいのだろう。小学~高校までは大いに勝ち負けにこだわればいいと思う。この時期に勝ち負けに関係なくがんばると言うのなら、剣道なら、型だけ、ボクシングなら、シャドウボクシングだけ練習すればいいのだが、それで上達するのだろうか。健康やダイエット目的なら、わざわざこんな種目を選ばずスポーツジムに行けばいい。
20歳くらいになり、その道のプロを目指さないなら、楽しみや健康目的に切り替える、もしくはやめて健康目的のスポーツジムでもよいと思う。 先生は竹刀の振り方は教えてくれても、こういった事は教えてくれなかった。もちろん他のアプローチもたくさんあるだろうから、1例と考えていただければいい。
(少年剣道2に戻る)
この道場は5年生で辞めて、父の会社の知り合いの先生の道場に通うようになる。親がそうした。殴られて目を腫らして帰ってきたので親が心配した。詳細を覚えていないので、子供的にはたいしたことではなかったのだろう。ここを辞めたことがよかったのか悪かったのかいまだにわからない。次に通った道場はみんな仲がよく、行くのが楽しかった。団体戦は強くなかった。土日が休みで全般にゆるかったが、自分で強くなる方法が身についていた。これはこれで行くのがおもしろかった。
最初の剣道場、今ではありえないだろう。一方、習い事はこうでないとという思いもある。お金を出してでも、子供の頃にこういう(先生と先輩の話、もしかしたら死ぬかもしれないという思いなど)体験の出来る習い事をさせたほうが本人のためになると思う。
自分の子供を見ていると、平和ボケしていると思う。一方先に書いた英国人、米国人の友人は、へらへらしててもしゃんとしていた。軍隊の経験があるからかもしれない。息子は素直でいい子なのだが、習いごとは水泳。友達と楽しくやっているようだ。楽しければいいという価値観に見受けられる。だが、ぜひ少年時代に私のような経験をしてもらいたいと思いいろいろ考えた。
ずいぶん勝手が違うが、二人で座禅を組みに行くことにした。彼にはこれ位がいいか。調べて大田原の雲厳寺を見つけた。毎月第三日曜に朝8時から11時までで一人300円。ウェザーニュースで見ると予定日の気温がマイナス1℃。電話で聞くと、座禅を組む場所は外気と同じ気温で暖房具などはないという。「小学生は参加して大丈夫ですか?」と聞くと、「子供は普通来ない、大丈夫ですか?」と逆に聞かれ、朝8時に遅刻しないよう言われた。これは期待出来そうだ。土曜日に腹巻き、ネックウオーマー、手袋、ズボン下などを準備した。
日曜日(12/21)朝6時に家を出る予定だったが、6時20分に起きてしまった。そこから大急ぎで準備して6時40分に家を出た。霧が深く前が見にくい。カーナビを見ると予想到着時刻が8時45分になっていた。あきらめようかとも思ったが、お坊さんなので許してもらえるだろうと思い、車を走らせた。宇都宮インターの手前で警察官に車を止められた。
「大きな事故があり、通行止めになっているので一般道を使うように。」との事。これであきらめた。この霧だ。時間通りに出ていれば事故に巻き込まれたかもしれない。もしくは、高速で数時間足止めを食ったかもしれない。幸運だったと思うことにして、来年度に持ち越すことにした。来年1-3月は寒そうだ。私の方が大丈夫か。近場を探すか。出来ればストーブにあたれるところを。