爪白癬の患者さんに最低でも月に1度はブログを更新するように言われた。ありがたく思い、更新させていただくことにした。
お盆の期間は那須に戻り過ごした。父の初盆であるが、手が回らず遺骨はまだ那須の家にある。
那須では毎年かぶと虫を捕る。家の近くで捕れる場所がある。早朝出かけ、1時間程歩きまわり10匹程捕まえる。
今年は例年に比べ私の体力がなく、罠を作ってみた。調べた方法だが、バナナにきび糖、焼酎(黒霧島紙パック)、パン用のイーストを混ぜ、古ストッキングに入れた後、ジプロックに入れ6時間程日向で発行させる。すごい臭いだが慣れるといい臭いに感じた。6袋作ったが3袋をからすに奪われた。
いつも捕る場所と、冬に散歩して目星をつけてた場所に夕方しかけた。
朝方雨が降ったが、見に行くとカブトムシがたくさんいた。雨が降ると捕れないというのだが、それでもたくさん捕れた。ストッキングにびっしりついていた。息子に網で回収させたのだが、なんとすずめ蜂が網に入っていた。網ごとほうり投げ逃げた。しばらくして戻るとカブト虫だけ残っていた。今回クワガタ虫はとれなかったが、予想以上のいい結果だった。
長袖、長ズボン、長靴、手袋、カッパで完全武装。これで1時間歩くと汗だくでふらふらになる。スズメバチやマムシ、マダニ、セアカコケグモと危険だらけ。来年からはデング熱も心配しないといけないのか。店で買ったほうがよっぽど安くつき安全なのだが、達成感がいい。罠にすると時間が10分程に短縮され、危険も少なくなるのでいいと思った。
ふと自分の小学生時代を思い出してみた。続く。私は宮崎県延岡市で幼稚園から中学生まで過ごした。延岡といえば、夏目漱石の「坊ちゃん」でうらなり先生が飛ばされた場所で、こう書かれている。「延岡といえば山の中も山の中で大変な山の中だ。(中略)猿と人が半々に住んでいるような気がする。」ここまでではないのだが、田舎ではあった。テレビはNHKの他に民放が1局しか放映されてなかった。 テレビでチャンネルを回しても、ほとんどがザーとした画面だった。
自然には大変恵まれている。須美江海水浴場、素晴らしく美しいので、期会を作り、一生に一度は行ってもらいたいと思う。何軒か民宿がある。高千穂峡もお勧め。景観は圧倒的で神々しい。神武天皇が天から降りてこられたという言い伝えが、本当に思える。どちらも道路が整備され行きやすくなっているが、昔は行くのに大変だった。
ここから私の小学生時代の夏休みの話し。夏休みは、まず起きてラジオ体操に行き、朝ごはんを食べに帰り、すぐに網とかごを持ち、セミとりに出かけた。午前中ひたすらセミを捕まえた。息を潜めて、ぱっと捕まえる瞬間が最高だった。
一度家に帰り昼ごはんを食べると、学校のプールに行った。泳ぎより日焼け目的だった。泳いで体が冷たくなると甲羅干しをして、背中がじりじりし熱くなるとまた水に入る。ひたすらそれを繰り返した。毎年日焼け大会があり、私はずっと2位だった。勝てない人が一人いて、今年こそはと日焼けにいそしんだ。日焼け止めなど当時塗らなかった。大人が塗ってるのも見たことがなかった。紫外線は今より弱かったのだろう。プールに監視員などいなかった。結局日焼け大会は、最後まで2位で優勝出来なかった。
午後3時頃家に帰り、おやつを食べてから剣道に行った。家に帰り夕食を食べ、近所の公園の街燈で虫捕りをした。ほとんどカナブンしかとれなかったが、カブト虫を捕まえることを夢見て出かけた。どこで誰が捕まえたという噂を聞き、いろんな公園に出かけた。1シーズンに1度ほど飛んでいるカブト虫を見かけたが、網を振り回して追っても一度も捕れなかった。誰かが捕まえたり、網の届かない場所にとまり待ってもいつまでも動かなかったりで、チャンスをものに出来なかった。
カブト虫はあこがれの存在だった。(クワガタ虫は近くの山で3度程捕まえたことがある。)その後疲れて寝た。こうして振り返ると、忙しい1日だったようだ。
こんな調子だったから学校の成績はよくなかった。当時は5段階評価だったが、私は限りなくオール3に近かった。不思議な事は、私の弟がオール5だった事である。彼は、正に同じ釜の飯を食い、ほぼ私と同じ生活をしていた。ほぼ同じ遺伝子(どこかが変異したのか)。よっぽど授業中がんばっていたのかもしれない。彼は健康優良児に選ばれていた。運動会の時、文武両道の子供が学年で一人表彰される。私には声がかかる気配もなかった。
5年生の終わりに何を思ったか、私は生徒会長に立候補した。自分で原稿を作りタスキを作り、全校生徒の前で演説した。まじめに話したのだがみんなが大笑いし、結果ダントツで1位だった。ところが、先生達があんなやつでいいのかと心配され、私は生徒会長になれず副会長になった。成績優秀なO君が会長になった。O君は、高校まで延岡で過ごし、現役で東大に行った人である。人柄もよい人だった。だが、私的にはそれはなかったのじゃないか、と今だに思っている。そもそも選挙する意味があるのか?それなら最初から先生が決めればよかったのでは、という疑問。そんなわけで、小学6年生の夏は反骨心がわずかに芽生え、本屋さんに行き理科と社会の問題集を買い、自己流に勉強した記憶がある。電池の問題などさっぱりわからなかったが誰にも聞かなかった。
勉強しなかったのは理由がある。小学2年生の時、父親に宿題を聞いたら、虫の居所が悪かったのか、殴られ、お前はバカだと言われた。子供は素直なのだ。バカなら勉強しても仕方ないと私は思い、しなくなった。子供に絶対言ってはいけない言葉だと肝に銘じている。私は自分の子供を怒鳴らないし殴らない。一方で、理不尽な暴力の存在を知らずに社会に出してしまうと、苦労するかもしれないとも思う。「子供のしつけにはとんでもない努力と忍耐がいる。殴っていうこと聞かせるほうがよっぽど楽だ。」(映画セブンより)。父は忍耐が足りなかったのだろう。
セミ取りだが、季節によりとれるセミが違う。梅雨明けからニイニイゼミ、真夏はアブラゼミとクマゼミ、秋が近くなるとツクツクボウシが捕れる。クマゼミは九州の真夏の象徴的存在だった。黒くて体が大きく、羽が透明で、足の力が強い。指にからみつくとなかなかとれない。ワシャワシャとうるさく鳴き、夏の気だるさが増す。おしっこをして逃げていくので、捕るのにしくじるとおしっこをくらうことがあるが、臭くなく、すぐ乾いた。こうして、夏の移り変わりをセミで感じていた。
今年の海の日に熱海に行ったのだが、クマゼミの鳴き声を聞きびっくりした。徐々に北上しているらしい。10年程前に大阪で聞きなつかしく思ったのだが、そのうち栃木でもクマゼミの鳴き声を聞くもしれない。
最初のうちは網で捕まえていたが、木に登り素手で捕まえるようになった。ランニングに短パン姿で、ほぼ毎日蚊に刺されていた。掻かなければ自然に治った。ミンミンゼミは延岡ではレアで、キャンプに行くと鳴き声は聞こえたが、姿は見えなかった。栃木では時々ミンミンゼミの鳴き声を聞く。未だに捕まえたことはない。光沢の美しいセミである。昔はあんなに捕まえていたセミであるが、今は気持ち悪くて触れない。
カブト虫は、栃木の人はレア感が少ないのかもしれない。おそらく市街地を離れればたくさんいるのだろう。春先に雑木林から離れた那須の家で、庭の堆肥の中から幼虫がたくさんみつかる。が、私は少年時代の思い出から、捕まえるととてもうれしいのである。
5段階で3という成績は、よくはないが、悪くもない。普通なのである。中学受験など考えもしなかった。近くにそんな学校がなかった。宮崎市に付属中学というのがあったが、延岡市からは受けれなかったと思う。隣の鹿児島県にラサール中学というのがあり、近所の誰かが合格したと聞いたが、別世界の話しとしか聞こえなかった。
最近の子はゲームばかりしている気がするが、私の頃はなかったので、夏は虫取りばかりしていた。これはこれで楽しくて、また大人になってもこのように書けて、よかったと思っている。