今回別のことを書こうと思っていたのだが、少年剣道2を書いていたら、いろんな事が思い出されてきた。
今回も続きを書こうと思う。
私は正直剣道がずっと苦痛だった。弱かった時期を脱した後もだ。なんだろう、むさくるしい。全般に苦行である。道着が分厚く、梅雨から夏にかけ蒸し暑くて最悪だ。冬の朝稽古は凍るような寒さの中着替える。足が冷たく、叩かれたらものすごく痛い。その点陸上は夏はランニングに短パン涼しげで、冬もジャージを羽織るくらいでスマートに見えた。審判がおらず、勝ち負けがシンプルである。小学6年の時足が速くなったので、中学では陸上をしてみたいと思っていた。
中学に入学したらすぐに陸上部の先輩に勧誘された。実績のある実力者で光栄だった。渡りに船で、入部するような返事をしてしまった。すると剣道部の先輩にそれはないだろうと言われた。確かにいままでの付き合いがありそれも大事だ。そこで陸上の先輩に「少し考えさせてください。」と返事をした。「いったん返事をしてそれはないだろう。」と言われたが待っていただくことになる。
以後、放課後、その先輩が校門で待っているようになった。返事はまだかと言われ、まだだと言うと段々凶暴になって行った。「自分ほどのものが頭を下げて頼んでいるのに、その態度はなんだ。」と言った感じ。その変化が恐ろしく、一方意地悪さは微塵もなく、愛情が変化した感じで、かえって性質(たち)がわるく感じ、また、その人の本性を見てしまったように思った。「入部してしまうと付き合うのが大変な先輩かもしれない。」と思い始めた。少年剣道の先輩とは格がまるで違う。正直戦ってもまるで勝目はなさそうで、何年かけても足元にもおよばないだろうと思った。
ゴールデンウイークに、家族旅行で都井の岬に行ったのだが、その時初めて、空腹時に胃が痛む経験をした。このころ初めて眼鏡をかけた。
連休が明けてからどうしたか。眼鏡がよく見えた。先輩が遠くてでいらいらしながら待っているのが観察出来た。50m先くらいで先輩を見つけると走って逃げた。とにかく必死に走って逃げた。剣道部に入部し、夏休みが明けたころには先輩の事は忘れていた。こうしてまた、剣道をやるはめになった。やりたかった陸上をせず、いやだった剣道を続けるようになった。
足の速さは、秋の運動会時にはリレーにも選ばれなかった。必死に逃げたことを思い出して走れば、また違っていたかもしれないが、どうでもよくなっていたのである。
ところで、この対応はこれでよかったのだろうか。少年剣道2のようにに対応するなら、陸上で勝負し、陸上で答えることになるのだが、この時はこれでよかったと思う。この後剣道にはまっていく。圧倒的に力の差がある場合、三十六計逃げるに如かずもありだろう。
先輩に立ち向かった小学生の私、弱者が狙ったのは相当弱いと思われたからだ。、先輩から走って逃げた中学生の私、強者が狙ったのは、有望と思われたからだ。どちらも同じ私である。どちらかというと後者のへなちょこな方が自分的には好きである。