「北斗の拳」は私が高校生の時、少年ジャンプに連載されていた人気漫画である。
今回はそれを読んで感動したという話しではない。
4年前、私は都内江東区住吉の皮膚科クリニックに雇われ院長として勤務した。
オーナー兼院長先生が新橋の方に新規開業されることになり、開業準備をされるため、その間の業務を、私自身の開業の勉強がてらに勤務させていただくことになったのだ。
単身赴任で、クリニックから歩いて10分位にある2DKのアパートを借りた。
築30年以上経ち、さすがに古かった。
私はぼろぼろの家に住んだり、幽霊の出そうなホテルに泊まったりするのがなぜか好きなのである。
家賃は10万近くした。宇都宮では同じ値段で3LDK新築が借りれる。これが地方のいいところだが、利便性は比較にならない。
下町とはいえ東京は便利だった。部屋からスカイツリーが見えた。
都知事選は石原慎太郎さんに投票し、再選されたのが、途中でやめてしまわれて残念だった。
さて。
勤務を始めで1週間たたない頃、朝、シャワーを浴びようと浴室に入る。
まだ寒かった。寒いので戸を閉めると、カチッと音がした。今でもこの音は覚えている。
シャワーを浴び、出ようとすると戸が開かない。ドアレバーのようなところを回したり、ひねったりしたが、うんともすんとも動かない。
ドアは、下半分がプラスチックの板で、上半分が、アルミのような板の真ん中に縦長のガラスがはめ込まれていた。
最初下のプラスチックを蹴った。膝で何度も蹴ったが無理だとわかり諦めた。
ガラスを割ろう。それしかない。シャンプーで叩いたが、柔らい容器で役に立たなかった。
次に拳にタオルを巻き殴りつけた。やってみてわかったのだが、何だろう、薄いのだが固く、はじき返される感覚がある。これは難物だ。
右、左で30発くらい殴ったがなんだろう、手ごたえが全くなかった。拳が痛くなってきた。肘打ち、頭突きも全く効かない。息が切れしばらく休む。
その後、壁をドンドンドンと叩き、「助けて」と何度も叫んだ。しばらく続けたが反応が全くない。自分の声が途切れると、シーンと静まり返る。
こんなテレビ番組を視たことがある。まさか自分がこうなるとは。精神的に追い込まれていく。閉所恐怖はないのだが、絶望に襲われた。誰か気付いてくれるのだろうか?
職場は来たばかりで、家族の住所も知らせていない。いきなり無断欠勤するとんでもないヤツ位に思われて、探してくれないのでは?
使えるものを探す。あいにく歯ブラシは洗面台の方に置いていた。これがあれば違ったのだが残念。
見渡しても何一つ使えそうなものはない。
この扉一つで今までの生活に戻れない。不思議な感覚だ。寒くなりシャワーを浴び体を温めた。朝ごはんもまだ食べておらず、腹が減った。
裸で閉じ込められるのはなんともみじめで、恐ろしい。
3日程閉じ込められれば死ぬのでは。
体を使うのを止め、考えた。3日程前に近くのコンビニで、北斗の拳のコミック本を見つけ、懐かしくてしばらく立ち読みした。ラオウとケンシロウが闘っていたシーンを思い出した。
(北斗の拳を知らない人は、何のことやらだろうが、ぜひ読んでみて下さい。不朽の名作です。)
ラオウの圧倒的な強さ。ラオウになりきろう。そう思うとこう思えてきた。
「ラオウである私が、こんなところに閉じ込められ出られないわけがない。」
再びタオルを拳に巻き付け、意を決し、渾身の力でガラスの中央を打ち抜いた。ピシッとヒビが入った。次の瞬間にケンシローにシフトし、アタタターとパンチの嵐を叩きこんだ。ガラスは粉砕された。
しばらく脱力した。
ここでもう一山。ガラスのなくなった狭い隙間を通り、向こうに出ねばならぬ。体の幅がギリギリだ。向こう側には大小不整形の砕けたガラスが散らばっている。
タオルを投げて敷き、体を横に向け、ゆっくりゆっくり移動させた。向こう側に右足がつき、ゆっくり体重を移していく。足裏に鋭い痛みが走るが続け、全部の体重を右足にかけた。ゆっくり体と左足を抜いた。最後に左足の踵が通過するとしばらく座りこんだ。体重の落ちている時だったので、ぎりぎり抜けることが出来たのだ。
足裏にガラスが刺さっていたが出血はなかった。足のガラスを抜いた。
自分の持てる力を総動員してピンチを乗り切った。達成感がすごかった。
ガラスを掃除して出勤した。歩くたびに足裏が痛かった。風が冷たかったが春の日差しが心地よかった。10分程遅刻した。
1時間半程閉じ込められたのだが、随分長く感じた。
大家さんが1階に住んでいた。この事を話すと「震災でしょうかね。」と素っ気なかった。
建物は築30年で銀行の抵当権がついていた。借金してアパート経営をし、その後バブルが崩壊し、まだ借金返済が終わらない。
これも恐ろしいと思った。修理は家主側でされた。
しかし、あれ程情熱を捧げた剣道は、このピンチでは何の役にも立たず、たまたま立ち読みした北斗の拳が、身を助けてくれた。
皮肉な事だが、何が幸いするかわからない。
今こうして読んでみると実に面白い。人生は時として危険で刺激的だ。
もし神様がいて、試練として与えたのなら、もっとましな試練はなかったのだろうか。
こうして得た人生訓:
坐して死を待つくらいなら、ラオウの闘気を纏い、後の事など考えずに(器物損壊など考えてたら死んでました)、渾身の力で殴る。さすれば道が開ける蚊。