院長ブログ|はま皮フ科クリニックは皆さまから愛され、気持ちよく治療を受けられる皮膚科を目指します/栃木県宇都宮市兵庫塚3-55-40

はま皮フ科クリニック

過去一覧
(2016年01月09日)

年末の振り返り

 私が開業した目的の一つに、「ブログを書きたい。」というものがありまして、それは今も変わりません。
昨年を振り返ると、7-9月の繁忙期に更新出来なったのは仕方ないとして、
それ以後患者さんの数が落ち着いた10月以降ほぼ更新出来なかったのは残念なところでした。
 
 今までのブログを見直してみると、本業での活動をあまり書いてない。
診察以外では活動していない、と思われるのもなんなので、今回は、年末の診察以外での活動内容を書いてみます。
しかし、一般の方にはわかりにくい部位もあるので、今回くらいにします。

 9/27(日曜) 経営の研究会。東京、丸の内で。
pm1時から4時まで。「人に任せるのは難しく無理なので、システムに任せる。」 という発言がありました。なかなかそれも難しく今の私では無理そうです。
 予測で一番難しいのは近未来とのこと。どういう意味だろう。考えてみたがよくわかりませんでした。あまり遠い未来を予想してもしょうがなさそうですが。
 こんなことがありました。患者さんで、有名な占い師の方がこられました。原因不明の発熱で、他科入院皮フ科コンサルトがありました。私は皮膚科専門医をとったばっかりの頃だったのですが、専門医の試験問題に出そうな典型的な症状で、1発で診断し、翌翌日から解熱しました。
 その後、親しく話すようになったのですが、ある時、悪気はなかったのですが、うっかりこう言ってしまいました。「原因を自分で占えなかったのですか。」
 今思うと、かなりデリカシーに欠けています。彼はこう答えました。「いや、自分のことは占えないんですよ。いくら他人の事はわかっても。」
 成程、そういうものかもしれない。他人の事はわかっても、自分の事はわからない、そんな人はたくさんいる。私も含め、そんな人だらけだ、と、妙に納得したものでした。その時、「先生の占いをしてあげましょうか?無料で。」、と言われたのですが、断りました。
 大学生の時(丁度20歳くらいか)、知人の知人にピタリ当たるという方がいて、無料で占っていただきました。結果、30歳なかばで病気で死ぬというものでした。
結構気にしてましたが、50歳の今でも生きています。
未来予測ではないのでしょうが、15年後がはずれたなら、最も難しい近未来はもっとはずす、かもな、と思いました。
 また、私はこう思います。未来がわからないから、希望を持って生きられる。未来が決まっていて、それがわかってしまったら、面白くもなんともないなと。それで、患者さんの占いは断ったのでした。おそらく、未来が決まっているという考えなのだと思います。名前や生年月日は変わらないので、それで占った場合、同じ結果になるはずです。努力してもさぼっても。こう思うとやる気がなくなってきます。
 
 10/22(木曜) 仕事後、宇都宮のホテルで、真菌症の研究会に参加。
終了後飲みに行きました。
 籏持先生と1年ぶりに二人で行きました。先生は獨協医科大学皮膚科学教室の主任教授。普段、難しい患者さんを紹介させていただいたり、よくなった患者さんを紹介していただいたりと、連携させていただいています。
 常に、仕事はもちろん 多方面に brush up されておられ、とても刺激を受けます。有意義な時間が過ごせました。

 10/25(土曜) 子供を中央公園に連れて行き、3週走らせました。
その後、総合文化センターに行き、レーザー学会に参加しました。
なんと財布に8000円しかなく、1万円の参加費が払えなかった。がっかりして家に電話すると、銀行で降ろしたらと子供に言われました。
大通りまで歩き、都銀で休日手数料を払い、1万円おろして参加出来ました。
 家に戻り、近くのカワチ薬品に行くと、当院の事務さんとその娘さんにばったり出会いました。
娘さんは初対面で、英語が堪能らしく、一度英語で話しかけてみようよ思ってましたが、頭がボーとしていて、素通りに近い対応になってしまい残念でした。
土曜の夕方は1週間で1番疲れがたまってる時間。

 10/26(日曜)  9時半に病院(はま皮フ科)に着く。
そこから準備して導入中のある治療のネット講習を4時間連続で受けました。
夕5時に病院を後にした。疲れました。へとへと。内容はとてもよかったので。

 11/1(日曜) レーザー機械メーカーのセミナー。宇都宮のホテルで。
pm1時から4時まで。高価格の機械が紹介されました。
他に維持費も年に数十万かかるそうです。導入すると赤字だと思います。

 11/18(火曜) 仕事後、事業継承のセミナーに参加。ホテルニューイタヤで。
継承のためには子供に医者になったもらわなければなりません。
 中学生の息子にこう言っています。「どうか、ガリ勉君になってくれ。ダサいカッコウで、ユーモアのセンスがなくて、いつ会っても勉強の話ししかしない。やせていて、ただ、ひたすらガリガリ勉強をしている。
どうか、ぜひ、こんな人になってくれ。」、と頼んでいるのですが、どうもそれはイヤらしいです。

 11/27(木曜) 仕事後、京都大学皮膚科教授の講演に参加。
講演で、掻破で神経が真皮から表皮方向に伸びる動画映像を見させていただいた。とても高額な顕微鏡で撮影されたもので、患者さんにも見ていただけたら説得力があるな、と思いました。
(皮膚を掻くと、痒みを感じる神経が敏感になり、少しの刺激をより痒く感じ、悪い循環に入っていきやすくなります。こういう説明をしているもので。)

 11/29(日曜)  経営の研究会。東京丸の内で。Am11時から12時半までで、途中で切り上げました。
 その後、臨床皮膚科医会に参加。pm1時から4時まで。 品川で。肝腎の聞きたい講演の途中で切り上げました。
 午後5時から、大森駅近くのクリニックにお邪魔させていただき、当院導入中のある治療法について親切に御指導いただきました。
 先生は常時1日150名みてらっしゃる方で、しゃべり方が、超高速になっています。もう普通のスピードに戻らないのかもしれません。
 3件の用事はどれもためになったのですが、時間に追われ、7~8割の達成度でした。体が3つあればと思いました。体が2つあればとか、3つあればとかいうのは、鼻もちならない経営者が思うことらしいです。
疲れと、田舎者のボケで、帰りに大森駅から逆方向に乗ってしまいました。蒲田で降り乗り直しました。また東京駅を乗り越し、神田で降り、また東京駅を乗り越し有楽町で降り、そこで切符を買いました。
新幹線で寝たらまずいと思い、眠かったが起きていた。家に着いたら11時でした。

 12/3(木曜) 日本皮膚科学会 第91回栃木地方会に参加。自治医科大学教育研究棟で開催され、後半部分の座長を担当した。
遅刻は許されない。(学会で、座長がいない、などあってはいけないので) 診察を30分早く切り上げた。
私は、通常の学会参加時、発言するのは1日1回までと決めている。座長だと、発言する役割があるので、多少多くても許されるのだろうが、演者の先生に批判的なことは決して言うまいと肝に銘じて臨んだ。
面白い演題が多かった。
 最初の演題は、乳房下縁の乳がんの症例。皮膚科と乳腺外科の境界領域の症例。
MRI画像を見ると典型的な乳癌で、乳腺外科の先生なら、触診でほぼ確信されると思う。皮膚科初診された場合は、エコーが有用だろう。
 異所性子宮内膜症の症例、転移方式(癌でないので、移動とでも言うべきなのだろうか)を、リンパを介して、血行を介してと文献的に考察されていたが、それでいいのかとの質問が会場よりあった。
困ってそうなので、私が今年の東京支部での発表で勉強させていただいた、、播種性転移した症例について話し、その可能性を話したところ、とりあえず、御納得いただけたよう。
もしかしたら、演者の先生に否定的な事を言ってしまったのかもしれないな、と後で反省した。
 石灰化上皮腫の症例。エコーで診断がついたのではという意見があった。皮膚腫瘍全例でエコーをするわけにもいかないだろう。有用とは思うが。
 Panfolliculomaの1例 名前がいまひとつに感じた。Ackermanさんが、JAADに論文を書いてらっつしゃるので、市民権を得た病名なのだろうが。
Ackermanさんは毛包系悪性腫瘍の存在に否定的な方で、良性腫瘍だったらいいのだろうか?また、この名前、pan は全身性の、多発性のなどの意味の接頭語。Folliculomaは
濾胞腫、嚢庖腫など嚢庖構造がたくさんある腫瘍という意味で、毛を表現するtermが入っていない。
Trichofolliculomaという別の腫瘍があるが、こっち診断名のほうがしっくりくるように思った。先にこの名前を付けられてしまったので、この名前になったのだろうか?などと考えながら聞いていた。免疫染色をしたらという意見があったが、
以前私が発表時に名前が出ていた先生にお尋ねしたところ、皮膚付属器腫瘍の免疫染色で説得力のあるものはなく、あくまでもHEで診断するように教えていただいたことがある。時間が長くなってしまっていたのでこの件は発言しなかった。
 天然痘における定点観測。異次元の発表で、会場から質問がなく、こんなときこそ座長の出番なのだろうが、時間がおしていたので終了としてしまう。なんと討論なし。どこかに、こんな患者さん、まさか自分のところに来ないだろう、というのもあった。いつもお世話になっている岡田先生、御免なさいでした。
 大学には貴重な症例が集まり、それを忙しい中、文献を調べ考察し発表してくださる。とてもありがたいと思う。どんな発表でもなにか勉強になるので、真剣に聞くことにしている。
 
 12/13(日曜)東京で講演会に参加。
 2時半から6時まで。メラニンの画像評価システム。質疑応答で、メラニン量が多すぎると白く写ることに、喧々諤々の議論がなされていた。
 なぜこういう現象が起きるのだろう。あることにひらめき、意見を述べたところ、、都内の形成外科の準教授が「わかった。」とおっしゃられて、ほぼ解決した。
 後でで先方から丁重なあいさつとともに名刺を渡され、礼を言われた。畑違いの発表も、真摯に聞いて考えてるのが実を結んだように思い、とても気分がよかった。

 こんな感じでした。今回は、ブログを更新しなかった、いいわけがましい内容でありました。

(2015年11月07日)

ラジオ

 4年程前だが、2年ほど、ひたちなか市の勝田病院さんに、週に1度、皮膚科外来をしに通っていた。
道中長く、行き帰りの車の中で、ラジオが楽しみだった。
 最初のころは、録音した音楽を聴いていたが、どんなに気に入った音楽でも、何度も聞くと飽きてしまう。
その点ラジオは変化があり、新しい情報に多岐にわたり触れることができた。
 
 朝は、文化放送を聞いた。吉田照美の「そこだいじなとこ」。
番組内にいろんなコーナーがあり、様々なゲストが来られて楽しかった。
旅行評論家の鳥海高太郎さんはLCC(Low Cost Carrier)を使い、お手軽に格安で旅行する方法など教えてくれていた。
情報満載で車を止めてメモをとったこともあった。いままで行けもしなかったような海外の都市、秘境にも国内旅行の感覚で行ける時代になっているようだ。
 東アジアの国々の間で、活発に民間人レベルでの交流がなされていることを知る。日本はこの点で遅れているようだ。

 番組中の小芝居、音楽喫茶止まり木のゆめちゃん(佐藤友紀さん)に悩殺されてたリッスナーは多かったと思う。声と御容姿が乖離していないのが素晴らしいところだった。
 
 武田鉄矢さんの今朝の三枚おろしを、前半半分聞いたころに、自衛隊基地の近くを通り、電波が悪くなる。
そこを抜けると終わりのあいさつといった感じで、丁度いいところを聞けずに残念だった。
最近では毎朝、通勤途中に聞いている。
 
 その後、吉田さんが午後に移られ、、おはよう寺ちゃんになり、いつのまにか福井謙二さんのグッモニに代わっていた。
 福井さんはダジャレが面白い。だじゃれの世界の天才なのでは。あまりダジャレに関心のなさそうな、水谷加奈さんを笑わせているのがすごいところか。
 
 今日書きたいのはここから、。
 帰りの車の中でパリーグのナイターを聞いていたのですが、解説者江本さんがすごいと思ったので紹介します。
 
 話1 
 2012年、新任監督の栗山監督は日本ハムファイターズを率い、前半戦首位で折り返した。
前年エースのダルビッシュ投手がメジャーに移籍し、他にも主力選手がいなくなり、評論家ほぼ全員が、最下位を予想していたなかでの快挙である。
アナウンサーがこう聞いた。「がたがたのチームで前半戦首位で折り返すなんて、これも栗山監督の手腕でしょうか?」
江本さんはこう答えた。「誰でも、一生に一度、何をやってもうまくいく時期というものがあるのです。今、彼にそれが起こっているのです。」
栗山監督の手腕ではなかったということなのか?
「何を言ってるのだろう。やっかみだろう。」と思ったものだ。
その年日本ハムはパリーグで優勝し、日本シリーズでは原巨人に敗れはしたものの、1年目の監督としては、かなり優秀な結果だろう。

 翌年、日本ハムは新外国人が本塁打王に、4番の中田翔が3割を打ち、ドラフト1位で獲得した大谷翔平を2刀流で起用し、活躍した。
このように、補強に成功し、戦力upした、栗山監督の日本ハムは最下位に終わった。
ペナントレースを制するものは、「選手の力+監督の指導力+監督の運」 なのだろうか?
今年就任1年目で日本1になったソフトバンクの工藤監督は、何がどうだったのだろう?


 話2 
 2009年、鳴り物入りで西武にドラフト1位で入団した菊池雄星君。期待と裏腹に、入団後数年低迷が続いたのだが、
ついに開花したのか2013年前半を8勝1敗(くらい)で折り返した。
ラジオ中継の合間に録音されたインタビューが紹介された。礼儀正しい、世間慣れしていない青年といった感じだった。

 「今年の目標は何勝でしょうか?」彼は答える。「10勝です。」
江本さんはこう言った。
「なんと覇気のない、なさけない。前半8勝なら、年間で20勝とか言うものですよ、全く。
それぐらいのアクの強さがないとプロではやっていけませんよ。そんなことを言ってると本当に10勝で終わりますよ。」
私は、「何を言ってるのだろう、いい結果にも決しておごることなく、謙虚でいい若者だ。」と思ったのだ。

 その年彼は9勝で終わった。アマチュアでなく、プロなら江本さんが正しいのだなと感服したものだ。
 
 梶原一騎氏の名作、巨人の星では、登場人物で謙虚なのは主人公の星飛馬だけで、残りは、前半戦8勝したら20勝としますというタイプだらけだった。
彼らは社会的に成功する。花形満、伴忠太は会社社長、明子姉さんは伴忠太をふり、ちゃっかり花形満と結婚し社長夫人に。左門豊作はタイトル保持者で花形選手、
妄想癖のある父の星一徹まで、中日の監督になる。
 星飛馬だけ、体を壊し、世捨て人のような人生を送る。菊池君は飛馬を反面教師にして、ビッグマウスになってみたらどうだろうか。
去年は5勝、今年は9勝と少し盛り返す。来年に期待したい。

 しかし、江本さんの解説はこのように面白いのだが、テレビでは見かけない。口が悪すぎるのが災いしてるのかもしれない。

(2015年09月25日)

フェイスブック

 皆様、いろんなソーシャルメディアを楽しまれていることでしょう。
代表的なものとして、フェイスブック、ライン、ツイッター、google+  他にあげればきりがないのでしょうか。

 私は、この方面に関心がなく長く関わらなかったのですが、弟がやったほうがいいというので、数年前にフェイスブックをはじめました。
入門書を買い設定をするのですが、この時点でとてもわずらわしく感じました。
住所や氏名、ID、パスワードの登録です。
パソコンや携帯を購入するときも一緒なのですが、こんなことをしないで、使い始めればといつも思います。

 さて登録はしたものの、使い方がわかりません。とりあえず、イオンベトナムで働く弟に、友達になってもらいました。
弟の友達のベトナムの方からたくさん友達申請がきました。といっても、弟とどんな関係(どんな友達)なのかもわからず、しばらく放置していました。
すると申請が消えていき、残った3名と友達になってみました。
英語で文章を書くのがわずらわしく、最初に1度やりとりしただけで、彼らが投稿した記事を見る程度の利用でした。

 ベトナムの写真は珍しかったのですが、すぐに飽きました。1名はいつのまにか友達でなくなっていました。
先方の友達申請に応じたのに、先方から削除してくる、どういうことなのだろうと思ったのですが、そこはソーシャルメディア内の、ある意味現実のない架空の出来事なのでしょうか。

 フェイスブックの存在を長く忘れていたのですが、ある日思い出し、自分のプロフィールを見てみると、恋愛対象という項目があり、なんと男になっていました。自分の性別と間違え入力したのでしょう。おそらく半年以上さらされていました。恐ろしいことです。誓って言いますが、その気はありません。

 昔の友人から友達申請がなかったことが幸いです。ある人が見て、「あーあの人はそうだったのか」と思いためらったのかもしれません。また、恋愛対象が男になっていた私から友達申請が来た場合、恋愛対象が男になっていた私に友達申請してきた人がいた場合、いろいろ考えられます。ここにソーシャルメデイアの恐ろしさがあると思い、急いで修正しました。

 親友のT先生と最近友達になりました。彼は金沢大学の小児外科で特任准教授をされている人で、筑波大学にいた時は、実験に明け暮れ、数年間病院と官舎の往復のみで、外に出たのは茨木に一人でアンコウ鍋を食べに行ったのと、ハマと日光に行った2回だけだと話されていました。
 金曜の夜から月曜の朝まで実験していたそうで、家族はどうなっているのだろうと思いました。おそらく放置し放置される関係になっているのだと思います。といっても本給は家族に送り自分はバイト収入だけで暮らしていたそうです。まあ、使わないのでしょうが立派です。

 彼は古い親友で、仕事面での話もします。私が苦しんだことを、かれも同じように苦しんだので、より深い結びつきがあると思っています。時々電話で話します。俺たちのいたあの医局、最高におもしろいところだったね、医者人生をあそこで始められてよかったね、などと話します。

 そんな彼が、フェイスブックで友達の欄から消えていました。おそるおそる電話してみますと、アドレスを外国人に乗っ取られ、むちゃくちゃにされたとのことでした。ハマもプロテクトをかけたほうがいいよ、と言われました。彼は新たにローマ字の名前で登録し、そこでまた友達になりました。

 そんなわけで、みなさんもフェイスブックに登録される時は、恋愛対象の性別に注意して、個人情報にプロテクトをかけてください。